2026.4.3金 - 4.5日
Proto Plane
「東京収容劇場」
クリエイションメンバー
浅野碧巴(Proto Plane)、廣瀬一穂(Proto Plane)、関友之介(Proto Plane、澤修三)
蟻塚󠄁唯衣、今井桃子(ザジ・ズー)、石川空(澤修三)、河邉宏太、大石水月、王衛青、白川結衣杏 (喘粘齢)、滝川鈴、内山詩菜日程
4/3(金) 19:30
4/4(土) 14:00※ / 18:00
4/5(日) 14:00※ / 19:30
※アフタートーク予定料金
一般 3,500円
学生 / U25(要証明) 2,500円
-OK, Google. 劇場で殺された人はまだひとりもいない?-
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マクドナルドのハンバーガーを食べる。胃のなかでコポコポとそれは消化されていく。一部は排泄されて、一部は身体のなかに取り込まれていく。えも言われぬ気味の悪さ。この気味の悪さはなんなのだろう、もうカラダの反応として、気持ち悪いのか、それとももうマクドナルドは食べないと心に決めたからなのか、自分でもよくわからない。
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別にマクドナルドを食べないからといって、私たちは調べ物のためにGoogleを使うし、というか日の丸の裏にダビデの星が透けるこの国で、生きてしまっているから、その時点で人を殺しているし、じゃあなんでビックマックは食べないことにしているのか。その矛盾自体が、胃のなかに消化不良として、収容されている。
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演劇をつくるときも、そういう感覚がある。劇場は演劇というある種のフィクションをいくつも歴史として収容しているし、そのなかの演劇ひとつとっても、そこには脚本というナラティブ、演出というナラティブ、スタッフワークというナラティブ…が収容されている。そして俳優/観客の身体というナラティブ。その身体ですら、あらゆる歴史が、言説が、望むと望まざると関わらず、編み込まれている。翻って劇場も、都市や国家のあらゆる目論見の上に成り立つものだ。
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その意味で、劇場や演劇は無限の、虚構の入れ子としての収容所であるのかもしれない。しかし、そうした演劇というメディアの内で、その場を構成する私たち自身のナラティブは、消化不良のまま切り捨てられているのかもしれない。それでも、何かを上演してしまう。何かを容れることと、何かを排することの矛盾に苛まれながら、それでも演劇をつくろうとすること、そしてその場に集うことは、何かを生み出すだろうか。
チケット予約:
https://r7ticket.jp/protoplane02
お問い合わせ:
Proto Plane
collective.protoplane@gmail.com
