ポストゼロ年代演劇の新潮流<br>ゲスト:天野天街(少年王者舘)

2019.12.16

ポストゼロ年代演劇の新潮流
ゲスト:天野天街(少年王者舘)

セミネールin東京

レクチャー担当

中西理(演劇舞踊評論)

ゲスト

天野天街(少年王者舘)

日時

12月16日(月)19:30スタート

料金

前売2,000円 当日2,500円
(+1drinkオーダー)

12.16 MON19:30
  • オープンはスタートの30分前になります。
CLOSE

_少年王者舘と天野天街は日本の現代演劇史において長らく孤高の存在であった。その独特の世界観、ビジュアルイメージは見たものに忘れがたいインパクトを残すが、その独自性があまりにも高いがゆえに例えば同じ名古屋を拠点にほぼ同時期に活躍してきた北村想(exプロジェクト・ナビ)が現代演劇界に広く影響を与えてきたのに対し、その特異な作風もあって地元名古屋でさえ、天野の作風のフォロワーと見なされるような劇団は存在しなかった。
_ところが2010年以降の現代演劇を考えて見た場合、作品制作の最大のドライビングフォースが物語ではない、音楽・ダンス・映像などの他要素との親和性の高さ、作品の遊戯性の高さ、「セカイ系」的な作品構造など少年王者舘がポストゼロ年代演劇の特色をほとんど先取りしていたことに驚くかもしれない。
_ポストゼロ年代演劇の象徴的存在といっていい愛知県一宮市出身の柴幸男(ままごと)は代表作「わが星」について、「わが星の半分は少年王者舘『夢+夜』だと思ってます。残り半分がクチロロで、残り半分がワイルダーですね」と天野に大きな影響を受けて「わが星」を構想したことを明かしている。ほかにも平田オリザの現代口語演劇の系譜のくびきを離れた若手作家から天野の影響を実際に受けたり、ループ構造の多用など共通の手法を活用する作家も多い。
_今回は天野天街をゲストに迎え、ポストゼロ年代演劇の源流とも見なすことができる天野ワールドの秘密に迫っていきたいと思う。
_
主宰・中西理

【予約・お問い合わせ】
●メール simokita123@gmail.com (中西)まで
件名、天野天街とし、お名前・人数・お客様のE-MAIL・お客様のTELをご記入のうえ、上記アドレスまでお申し込み下さい。
ツイッター(@simokitazawa)での予約も受け付けます。
電話での問い合わせ
090-1020-8504 中西まで。

少年王者舘と柴幸男
_少年王者舘(天野天街)の舞台では通常の物語(ナラティブ)の構造ではなく音楽におけるサンプリング、リミックス、美術におけるコラージュなどと類似の手法を使い、同一の構造が少しづつ変形されながら何度も繰り返されたり、まったく違う位相にある時空が突然つながるように撚り合わせられたりしてひとつの構造物として構築されたりしている。そうした特徴は「わが星」も共有している。あるいは天野天街のそれと比べるとほんの少しという程度ではあるのだけれど言葉遊びもこの作品では重要な要素を占めている。特に「校則」「光速」の掛け言葉は遠くで地球(ちーちゃん)を見つめ続ける少年との最後の出会いにとってかなり決定的に重要な意味を持つものであった。
_「『わが星』が、セカイ系フィクションの構造を踏襲している」こともある論者により指摘されていて、それはなかなか慧眼であるとは思うのだが、そういう風に考えるならば天野天街作品は「セカイ系」という言葉が生まれるずっと以前から「セカイ系」なのではないか、「わが星」はその構造を映し、同型だからこそ「セカイ系」的な構造を持つのではないかと思う。
_実は天野天街作品は単一な形態に簡単に還元できないような複雑な構造を持っているため、これまではその「セカイ系」的な構造に気がつかないでいたのだが、柴幸男の「わが星」はその複雑な構造を整理しある意味枝葉の部分を刈り取り、その本質的な部分のみを取り出すような単純化をしたせいで、隠されていた天野ワールドの構造がその眼鏡を通して見ることで露わになった。
_天野天街の芝居はほとんどの場合、死者の目から過去を回想し、死んでしまったことでこの世では実現しなかった未来を幻視するという構造となっている。天野作品ではよく過去の私/現在の私/未来の私の三位一体としての私が登場して、失われた過去、そして未来がある種の郷愁(ノスタルジー)に彩られた筆致で描かれていく。
_ここでの未来というのは「過去」「現在」「未来」が混然一体となった無時間的なアマルガム(混合物)ともみなすこともできる。村上春樹の「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」に擬えるならばここで天野が描き出すのは「世界の終り」であり、そこには時間がない。ゆえにそこでの時間は伸縮自在でもあって、ループのように繰り返されながららせん状にずれていく平行世界のような存在でもある。
_そして、「幻視」される世界のなかで不可視なのはその中心にある「死」であり、天野ワールドではそれは明示させることはほとんどないが、まるで空気のように「死」に対する隠喩がその作品世界全体を覆いつくしているのである。