関田育子<br>『盆石の池』

2021.2.21

関田育子
『盆石の池』

クリエーションメンバー

久世直樹、黒木小菜美、小久保悠人、関田育子、中川友香、長田遼、長谷川紫苑

撮影

小久保悠人、小島早貴、関田育子

配信開始日

2/21(日)13:00~

※視聴可能期間
2/21(日)13:00~2/23(火)23:59

配信チケット料金

500円

※チケット販売期間
2/21(日)13:00~2/23(火)22:00

無料生配信トーク日程/ゲスト

2/21(日)
16:00~ 徳永京子
20:00~ 佐々木敦
(敬称略)

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カメラは、フレーム内の一切を平等に写す。そのことは「あるものはある ないものはない」つまり、即自的な知覚と言える。
だが人間は普段有用性に基づいた知覚でものをみるため、人間はカメラの知覚を経験できない。
そこで我々が試みるのは、有用性に規定されつつも即自性の獲得を目指した映像の創作である。

<配信チケット購入>
https://scool.stores.jp/items/602901f36e84d53f91774ec2
※チケットの販売は終了しました

<無料生配信トーク>
出演:クリエーションメンバー
日時:2/21(日)
※生配信トークの公開は終了しました
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16:00~(ゲスト:徳永京子)
https://youtu.be/Xx1AD1fsSAc
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20:00~(ゲスト:佐々木敦)
https://youtu.be/TVAtTq7Q0Sk

小学生の頃、クラスの誰かが「漢字ノートに三を書いてたら、近所にある川の景色思い出した」みたいなことを言ってて、「関田育子」を初めて観た時、その記憶がふと蘇ったことがあります。
当時は「あっそー」と聞き流してましたが蘇った瞬間「確かにそうかも」という気になって、なってといいますか作品によってそうなったのかもしれません。
『柊魚』の、川を、川なのかを俳優たちが眺めているだろうシーンでした。俳優たちがいる川であろうどこかを想像した時、自分のみではない「三から思い出される川」という誰かの記憶というか方法が入り混じるのと、今までしていなかった想像へのアプローチが意識していないのに徐々に始まっていく感覚。気が付けば、あれ、目の前の俳優はどなたで、ここはどこで、でも劇場で、それを眺める今の自分もなんだろう、でも疑問でもなく笑ってもしまえるという未知の体感をしました。
自身の体験ではない誰かの記憶を思い出し、広げる効果も「関田育子」作品にはあるのではないかと感じます。
観劇後も、更新された記憶と新たな視野が自身に残っているような、日常生活でもバックグラウンド的に効果がされ続けているような、変な言い方ですが特典、でしょうかを大量にいただきました。
ここにて過去作のネタバレ、大丈夫でしょうか。「ヨボヨボ」と歩いてきて、両国へ行こうとするおじいちゃん、そして、タクシー運転手のシーン、とても好きで今も思い出して笑ってしまいます。黒い壁、自分の目の前に座る観客たちが笑ってバラバラのリズムで揺れた頭でさえ、記憶には存在として残っています。
(ゆうめい/池田亮)
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コメントをどのように書こうかな、と考えていたのですが、関田育子の演劇を観た日に走り書きしたメモが出てきたので、それを引用しようと思います。
2019/6/7
関田育子『浜梨』、すごくよかった。なんか気づいたら涙にじんでる自分がいて、びっくりしてしまった。全体の設定やセリフはベタなのに、なんでこんなに固有のものがうかびあがってくるんだろう。そうだ最後のシーンにも涙にじんだんだ。電車に乗りお父さんと離れるところ。ドラマ的な部分で感動したのだろうかわからない、そういうところもあるんだろうなぁ、とは思いつつもそうではない何かがあるきがした。積み重ねてきたものの上にあるドラマみたいだけど、ちょっとちがう。あのマイム的な動きや、感情が読めない表情、他の物語、がシーンに響いて別の風景を見せている。ああこれってポリフォニー音楽だ。それに、映画でやろうとしても現代ではもう実現が難しくなっていることが、この演劇で実現されかかっている感じがしたのだった。最後電車に乗って出発する場面なんかは、紋切り型ドラマの安っぽい感動の場面になりそうなところなのに、なんか見えない時間が重なって、駅の風景も見えたし(薄ピンクのホームだった)父親との距離とかも明確にそこにはあった。
そういえば色がすごく印象にのこって、衣装の色が素敵で、それが見えているものだけじゃなくて、もっとたくさんの色が見えてくるきっかけになっていた。映画を撮りたいと言っていた関田さん、どんな映画になるんだろうか、たのしみだ。
(清原惟)
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舞台セットも小道具もなし、無対象演技、「棒読み」の発話…、関田育子の演劇についてこれまで語られてきた言説(は僕自身のものも含め)、ともすると未見の観客に「素っ気なさ」や「退屈」といった先入観を与えることがあったかもしれない。だが、決してそんなことはないのだ。
 それは、いわば「コドモのままごと、ごっこ遊び」のようなもので、コドモらが、ありあわせの素材(たまたま手近にある適当なモノたち、そしてとりわけ単なるコドモでしかない自分たち)からあらゆるキャラクター・行為・事態を生み出す(「〇〇は△×△ということにするの!」)際に見せる当意即妙な、というか驚くべき(大人の目からは呆れるしかないような)創意工夫で形成される演劇なのだ。
 そして、その結果舞台上に出現するものはといえば、コドモでも大人でもない何か、つまり俳優としての彼ら自身の現前でも役の人物の再現前でもない、しかし不可思議な存在感を湛えた何か。あるいは腕のストレッチでも編み物をする姿でもないが奇妙かつきわめて魅力的な(「ダンス」と呼ぶことさえも躊躇されるかけがえのない)何か、なのだ。
(桜井圭介)
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演劇の上演は基本的に特定の時間と空間に紐付けられていて、その紛れもない制限を如何に逆手に取るか、が演劇作家の野心の核心である。その時、その場を、今ここ、をどうやって、いつかのどこか、に接続するか?
このことは、配信上演になっても変わらない。
関田育子は、これまでも、聡明かつ大胆に、演劇の条件を反転させ、持ち前の機知と着想によって、小さな、だが極めて起爆力の高い驚きを幾つも舞台に仕掛けてきた。
インターネットとディスプレイを通して思わず声を上げる自分を想像して、今からニヤニヤしている。
(佐々木敦)
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足し算(したいこと)が先で、引き算(必要ないこと)にはあとからたどり着くのが普通
の順番だが、関田育子は最初から引き算でつくっている。当たり前のように、ごくわずかのせりふと身振りを「演劇です」とし、それを成立させている。削ぎ落とされた動きのリフレインが、観ている私の凪を鎮め、感情を抑制した言葉がゆっくりと水紋を広げ、記憶の底にある体験や物語をつなげていくのだ。いつも「演劇ってこれだけでいいんだ」と実感させられ、驚く。さらに好感を持つのが、絞られた手数の中にユーモアがあること。ストイック=無味乾燥ではない。老練の境地でそこに行き着いたのではなく、瑞々しさを湛えながらそこにいる人を、私は他に知らない。
(徳永京子)
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映画においては、「逃走する人物を銃で狙うシーン」があった場合、たとえばライフルを構える人物を見せておいて、それから望遠の照準器を通して狙われた人物を見せることで緊迫した一連の流れをつくることが可能である。フリッツ・ラングは実際、「暗黒街の弾痕」でそのように表現していて、そうした理由を問われ、観客を出来事の渦中に放り込むためだと応えている。なるほど人間がライフルで狙われる状況をこれほどリアルに描写する手立てはない。機械を使った映像表現は、このようなリアルさを私たちにもたらすことに成功した。そうではあるが、人を「狙い」人から「狙われる」という出来事の本質がそのような行動描写の連続によって生じるものなのかは考えてみる価値はある。「出来事の渦中」にあるというリアルさをどのようにして手に入れるのか。映画が生まれて以降、映画自体もさることながら、演劇こそがそのことを問われ続けていると言える。「関田育子」もそのことを考え創作活動を続けている集団の一つだと思われる。それゆえ、映像配信によって「演劇」をどのように成り立たせようとしているのか、とても気になるところなのである。
(松田正隆)

キービジュアル:
関田育子
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音響:
土屋光
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配信オペレーション:
日景明夫
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写真:
小島早貴
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共催:
SCOOL

関田育子

1995年生まれ。
立教大学現代心理学部映像身体学科卒。
2016年に同学科教授・松田正隆氏が代表をつとめる、マレビトの会のプロジェクト・メンバーとなる。フェスティバル/トーキョー16主催プログラム『福島を上演する』に演出部として参加する。
フェスティバル/トーキョー17「実験と対話の劇場」では、演劇作品『驟雨』(作・演出)をあうるすぽっとにて上演した。
Photo: Saki Kojima

〈作品歴〉​
2018/2/24-25 『寄居虫の丘』北千住BUoYにて 

2018/3/16-18 『人々の短編の集』スタジオ空洞にて

2018/8/24-26​ 『夜の犬』SCOOLにて

2019/1/18-21 『柊魚』早稲田小劇場どらま館にて(「どらま館ショーケース2019」参加演目)

2019/2/24 『寄る辺のない悪魔』立教大学 新座キャンパス ロフト1にて(「カフカ・プロジェクトvol.2 冬のカフカ祭」参加演目)

2019/6/7-10 『浜梨』SCOOLにて

2019/10/25-26 『真緑の雲梯』ユーロライブにて(「テアトロコント vol.40」参加演目)

2019/10/19, 11/9, 11/17 『フードコート』TABULAE(曳舟)にて(作:村社祐太朗)