ポスト・インプロヴィゼーションの地平を振り返る<br>——即興音楽を語る言葉をめぐって(ゲスト:福島恵一)

2019.6.1

ポスト・インプロヴィゼーションの地平を振り返る
——即興音楽を語る言葉をめぐって(ゲスト:福島恵一)

出演

細田成嗣(ライター/音楽批評)、金子智太郎(美学/聴覚文化論)

ゲスト

福島恵一(音楽批評)

日程

6月1日(土)19:00スタート

料金

予約1,500円 当日2,000円(+1ドリンクオーダー)

6.1 SAT19:00
  • オープンはスタートの30分前になります。

細田成嗣と金子智太郎によるレクチャー・イベントの第3回は、細田が開催してきたライブ&トーク・イベント「ポスト・インプロヴィゼーションの地平を探る」の録音を振り返るいわばメタ・トーク。ゲストは音楽評論家、福島恵一!
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細田は「ポスト・インプロヴィゼーションの地平を探る」を2018年5月より毎月、国分寺のジャズ喫茶「エムズ」で開催してきた。毎回、即興音楽シーンで活躍する音楽家をゲストに招き、ソロ・パフォーマンスの後に細田が公開インタビューを行った。
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今回のイベントは細田、金子、福島が選んだ「ポスト・インプロヴィゼーションの地平を探る」のトークの録音と関連音源を聞きながら、定まった様式を持たない(ことが望ましいとされる)即興音楽はいかに語られた/語られうるのかを話しあう。ゲストの福島はこれまで長年、即興演奏をめぐる聞くことと語ることの関わりについて、ときに強い批判をまじえて論じつづけてきた。
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「ポスト・インプロヴィゼーションの地平を振り返る——即興音楽を語る言葉をめぐって」は細田が切りとってきた、生き生きとした即興音楽シーンのひとつの見取り図の再確認である。また言葉をめぐる3人のメタ・トークは、即興音楽にかぎらず音楽批評一般、さらにパフォーマンスや即興と関わる芸術全般に関心をもつ人にとっても必見の内容だ。

アートワーク:内田涼

予約・お問合せ先:
postimprovisation@gmail.com


いかにして(即興)音楽批評は成立し得るのか
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_音楽は語り得ないとよく言われる。音楽を言語に置換する作業がつねに不完全であらざるを得ないという意味ではその通りだろう。他方で「音楽批評」は無数の言葉を音楽にあてがってきた。ならば言葉は音楽をどのように表してきたのか? たとえば音楽家の来歴。音楽を生み出した人物がどのような経歴を辿り、どのようなことがらに興味を抱いているのかについて。あるいは音楽家の意図。いったい何を表現するために、または何を受け手に抱かせるために、または歴史と状況に対してどのような意識を持って音楽を生み出したのかということについて。あるいは音楽制作の方法。どのような道具を用い、どのような技術や手段のもとに音楽を生み出したのかということについて。あるいは音楽作品それ自体。メロディー、ハーモニー、リズムなど、音の変化の様態と反復されることによって浮かび上がるパターンについて、そしてその変化の様態とパターンが他の音楽や音楽ジャンルと比較してどのように似ているのか/似ていないのかについて。さらには聴き手の知覚および反応。ある音楽作品を受け取った人間がどのような経験を被るのか、または音の経験から受け手がどのような「音楽」を逆説的に創造するのかといったことについて。おおよそ、音楽が言語化されてきた要素には以上のようなものがあり、そしてたしかにこれらを総合したところで当の音楽にはなり得ない。とりわけ、つねに移り変わりゆく「即興音楽」においては、確定された変化の様態やパターンを持たない(ことが望ましいとされている)という意味において、「音楽作品それ自体」を語ることがほとんど不可能なようにも見える。
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_2018年5月より毎月、国分寺のジャズ喫茶「エムズ」にて、「ポスト・インプロヴィゼーションの地平を探る」と題したライヴ&トーク・イベントを開催してきた。即興演奏家、あるいは即興音楽シーンで活躍する音楽家をゲストに招聘し、40分間のソロ・パフォーマンスを披露していただいたあと、そのパフォーマンスを起点にしながら公開インタビューというかたちでトークをおこなうイベントだ。トークではゲストの音楽家がどのような来歴を辿って現在の制作活動に至ったのか、どのようなものごとや人々に興味関心を抱いているのか、そして生み出された音楽にはどのような特徴があり、それは他の音楽家とどのように関係する/しないのか、またその音楽を聴き手のひとりであるわたしがどのように受け取り、あるいは他の聴き手はどのように受け取ると考えられ得るのか、といったことなどについて議論してきた。少なくともここでは「即興音楽」に関する数多くの言葉が生産されてきた。
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_過日、音楽批評家の福島恵一は「『聴かないための音楽』としての即興演奏」という小見出しを付した文章を彼が運営するブログ『耳の枠はずし』に掲載した。福島によれば「即興」は「それだけで価値のある存在として、排除と崇拝の対象となっている」。つまり宣伝などで事前に、あるいは演奏がはじまってからできるだけ早く「これは即興である」と判断することによって、耳を閉ざしてしまう「即興嫌い」な聴衆がいる一方で、反対にそれが「即興」であるというただそれだけの理由でその演奏を持て囃す聴衆がいるという。そして特に後者に関して、「なぜ『即興』が依然として特別扱いされ続けるのかと言えば、もっともらしい顔をして耳を傾けている聴き手の多くが、実は何も聴いていないからに過ぎない」。つまりは「即興音楽」とは「聴かないための音楽」なのであり、この意味では排除も崇拝も同じように耳を閉ざす者の態度を示している。「即興」を崇拝する聴衆は耳を閉ざしながらも、むしろ耳を閉ざしているがゆえに、当の音楽がなんであれ「その場にいた」という特権的な体験を拠り所にしながら、音楽について雄弁に語ることができてしまう。自由とは何か、聴くこととは何か、即興とは何かといった、あらゆる思弁的見解について聴くことを抜きにして語ることができてしまう。しかしそれは「何て安全極まりない『みんなが特別なワタシになれる時間』であることか」。
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_そうであるならば、「ポスト・インプロヴィゼーションの地平を探る」で発されてきた言葉の数々は、いったい何を語っていたのだろう。一つ言えることがあるのだとすれば、そこで生産された言葉の数々は、実際のライヴ・パフォーマンスに接することを抜きにしては発されることがなかったということである。ならばライヴ・パフォーマンスの何を言葉にしていたのだろうか。「ポスト・インプロヴィゼーションの地平を探る」に出演してきたすべての演奏家は「純粋な即興演奏」をおこなっていたわけではなかった——それはあらゆる「即興音楽」に関してそうだと言ってもいいだろう。ゲストの音楽家によるライヴ・パフォーマンスはイベントのタイトルに反して必ずしも字義通りの「即興演奏」とは限らなかった。作曲作品を演奏する者もいれば入念なリハーサルを経た出来事の「再現」をおこなう者もいた。むろん「完全即興」をおこなう者もいた。しかし同時に誰もが演奏のなかにある種の「わからなさ」を確保していた。その「わからなさ」を「即興性」と言い換えてもいい。「即興性」を直接的/全面的に体現する「純粋な即興音楽」ではなく、むしろ様々な意味で「不純な即興音楽」がそこにはあり、そしてその「不純さ」に対して音楽家がどのように向き合っているのかという点において、「即興性」が意味を成すかたちで確保されることになるのではないか。「ポスト・インプロヴィゼーションの地平を探る」においては、「音楽作品それ自体」がどのように「不純」であるのかを、実際のライヴ・パフォーマンスを出発点に、作り手の来歴や意図、手法、あるいは受け手の経験などを交えて立体的に言語化することによって、その音楽の「即興性」がどのように確保されているのかということに関して、言葉が費やされてきたのだと言うことができるはずだ。
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_ならば実際にどのような言葉が交わされていたのか。金子智太郎とともに開催してきたレクチャー・イベントの第三弾となる今回のイベントでは、「ポスト・インプロヴィゼーションの地平を探る」で取り交わされた実際の対話の録音を再生しつつ——いわばアーカイヴのアーカイヴ、あるいは発言の発言という自己言及的な体裁を取りながら——、ゲストに福島恵一を迎え、「即興音楽を語る言葉」をめぐって議論をおこなう。それは現代の即興音楽シーンについて見聞を深めるだけでなく、音楽は語り得ないというはじめの文言に立ち返るならば、より広く「音楽批評はいかにして可能か」という命題へと漸近することにもなるだろう。
(細田成嗣)

福島恵一

1960年東京都文京区生まれ。音楽批評。プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。『アヴァン・ミュージック・ガイド』、『プログレのパースペクティヴ』、『200CDプログレッシヴ・ロック』、『捧げる-灰野敬二の世界』等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

金子智太郎

1976年生まれ。美学、聴覚文化論。東京藝術大学等で非常勤講師。最近の仕事に論文「環境芸術以後の日本美術における音響技術──一九七〇年代前半の美共闘世代を中心に」(『表象』12号、2018年)、「一九七〇年代の日本における生録文化──録音の技法と楽しみ」(『カリスタ』23号、2017年)ほか。共訳にジョナサン・スターン『聞こえくる過去──音響再生産の文化的起源』(中川克志、金子智太郎、谷口文和訳、インスクリプト、2015年)。雑誌『アルテス』でサウンド・スタディーズ/サウンド・アートをめぐる洋書レビュー連載(2011〜15年)。日本美術サウンドアーカイヴ共同主催(2017年〜)。 

細田成嗣

1989年生まれ。ライター/音楽批評。佐々木敦が主宰する批評家養成ギブス修了後、2013年より執筆活動を開始。『ele-king』『JazzTokyo』『Jazz The New Chapter』『ジャズ批評』『ユリイカ』などに寄稿。主な論考に「即興音楽の新しい波 ──触れてみるための、あるいは考えはじめるためのディスク・ガイド」( http://www.ele-king.net/columns/005754/ )、「来たるべき「非在の音」に向けて──特殊音楽考、アジアン・ミーティング・フェスティバルでの体験から」( http://asianmusic-network.com/archive/2018/02/2017.html )など。また2018年5月より国分寺M’sにて「ポスト・インプロヴィゼーションの地平を探る」と題したイベント・シリーズを開催中。