サマースプリング

2019.4.28 - 4.29

サマースプリング

原作

吉田アミ「サマースプリング」(太田出版)

作・演出

ミニスキュル・シングス(立川貴一+吉田アミ)

出演

立川貴一

音楽

大谷能生、吉田隆一

写真

三野新

日程

4/28(日)15:00★ / 19:00★
4/29(月・祝)15:00★ / 19:00◎
※上演時間は約90分程度を予定しております。

★終演後トークあり
4/28 15:00の回トークゲスト:榎本櫻湖×五所純子
4/28 19:00の回トークゲスト:大谷能生×三野新
4/29 15:00の回トークゲスト:木村カナ×郡淳一郎

◎追加公演

料金

全席自由席・日時指定
予約2,500円
当日3,000円
学生2,000円

4.28 15:0019:00
4.29 15:0019:00◎
  • 開演の35分前から受付開始、20分前から開場します。
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自分が想像できる、一番、酷いことをしなくてはならない。
1989年。80年代最後の年、平成元年。昭和天皇、手塚治虫、松下幸之助……神々は死んだ。10年後に世界は終わるはずだった。携帯電話もインターネットもなかったあの頃。偏差値と管理教育といじめに脅かされる名古屋の中学1年生の日常なんて、退屈で貧弱で無価値で絶望的で、どうしようもなくノーフューチャーだったんだ!!!_吉田アミが経験した地獄の一季節のドキュメント。真っ当で、ラディカルで、キラキラ。時代の閉塞と被害者意識の瀰漫と日本語文学の停滞を打ち破るアヴァンギャルド・ヤングアダルト・ノンフィクションを作者自身が初の舞台化!

予約方法:
※全回定員に達したため、予約受付を終了しました。当日券も僅かになりますがご用意しております。なお、立ち見のご案内になる可能性がありますので、予めご了承ください。
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※「4/29(月・祝)19:00」に追加公演が決定しました。
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info@scool.jp にてメール予約受付。
※件名「サマースプリング」本文に「名前」「電話番号」「希望日程」「枚数」をご記入ください。こちらからの返信をもってご予約完了となります(24時間以内に返信します)。定員になり次第受付を締め切らせていただきます。
※予約キャンセルの場合は、お手数おかけしますが、 必ず事前にご一報ください。

お問合せ:SCOOL
メール info@scool.jp

音楽:大谷能生
企画・制作:ミニスキュル・シングス
主催:ミニスキュル・シングス

本公演に寄せて
『サマースプリング』を舞台化するつもりなんてなかった。あとがきを「泣くほど嫌なことを何故、書かねばならなかったのか」と書き出すくらいの勢いで、そもそも本にしたいとさえも思ってなかった。じゃあ、編集者になんで見せたんですかといえば、そうせざるを得なかったからだとしかいいようがない。
_出版されたのは2007年で、今年でちょうど12年経った。2007年に生まれた子どもなら来年、中学生だ。どうやら平成が終わるらしい。そうか、と思った。30年前の1989年の平成のはじめに学校にも家にも居場所がなかった中学生のわたしのことを書いたこの作品を演るのなら、今しかないという気にはなった。昨年の11月に『あしたのあたし』の公演を終え、何の気なしにSCOOLのスケジュールを聞いたところ、ちょうど昭和の日までの日程がまるまる空いている。どうしよう。やっぱり、やらなきゃいけないのだろうか。いや、でも誰が。そんなのはもう決まりきっていて、立川貴一しかいないのだ。これもなりゆきというか、運命というかなんというか、出会ってしまったのだから仕方がない。まるで事故のように組むことになった演出ユニット『ミニスキュル・シングス』の相方だ。一緒に舞台作品を作るまで?、実はわたしは映像以外で貴一くんのパフォーマンスや役者として舞台に立っている姿を観たことがなかったのだ。10月から14日という短い期間でものすごく密に『あしたのあたし』を作った。そういう経験すらわたしはしたことがなかった。ただ、作品を作っていくなかで嫌なところが一つもなく、これほど感性の似ている人に自分は出会ったことがなかったし、衝突もなかった。わたしに合わせてくれて、無理をしているんじゃないだろうか。でも、あまりにもシンクロしてしまう。同時に発話し、同時に動く。やってほしいなぁと思ったことを指示する前にお互い勝手にやりはじめている。背中を預けることができる。とにかく相性が良かったし、この人のことは信じられると思った。
_大谷能生と組んでいる朗読のユニットでは、まったく違う方向から正反対の作り方をしていて、文学をやっている、まずは文字から入っていって組み立てていく、という修行のようなその経験があったから、今があると思う。もともと、『吉田アミ、か、大谷能生』というふざけたユニット名で朗読を主体としたパフォーマンスや自主企画を続けてきたわけだけど、能生がわたしと朗読のユニットを組みたいといい、はじめてやったのが『サマースプリング』だったのだ。ただでさえ、朗読なんて意味のある言葉や、セリフめいたことを言うことが嫌なのでヴォイスパフォーマンスをやっているわたしからすると地獄であったし、そういえばそのときも「やりたくない」とわたしは能生に言っていたがたぶん、かなり長い時間、電話で説得され、断るのが面倒くさくなったのと「今までやっていないことをやろう」という甘い言葉に誘惑された。前衛家を名乗っている自分は、そういう誘い方をされてしまえば「やってやろうじゃないか」という気になるしかないじゃないか。
_気乗りしないと言いながら、わたしは貴一くんに「やってみないか」と誘ったわけであるが、当然、断られるだろうという予感があったが「やる」と言われてしまった。やばい、逃げられないぞ。やるのかー、断るって思ったんだけどなあ。おかしいなあと思いながら、いけるなという気もしている自分が同時にいた。中学生の女の子役だよ。正気ですか?_ああ、イカれていたんだったこの人は、とわたしは妙に安心した。しかし、その後、周囲のプレッシャーや期待、ストレスから「やっぱりやらない」「白紙にしてください」と言いはじめたとき、あせった。おい、今更、何言っちゃってるんだよ。もう、やるって決めたんだからやろうよ。今度は自分が能生のように説得をする番だ。
_「『サマースプリング』は自分の外に出したくない、つらい過去を書いたのだから、やりたくないという気持ちを持ったまま舞台にあがってほしい」そんなようなことをわたしは言ったと思う。3日間みっちり説得して、納得してもらえたのだが、交代にわたしが「やりたくない」気分になっていた。とにかく自分でこの文章を書くことがつらい。みんなーッ!みてみて!みたいな態度を取れるほど自己愛が強い人間ではない。自分を嫌悪しているから自分を雑にあつかってしまう。とにかく台本を直したりする作業がしんどい。やりたくてやるわけじゃない。やらざるを得ないからやるだけだ。そのことをそのまま素直に伝えた。貴一くんは「やりたくなさは悪いこととは思ってなくて、やりたくなさを隠す方がなにより良くないと思ってます。楽しいフリなんて意味ない。」というようなことを言い、この作品の中にあるつらさは自分の中にもあるから自分もつらい。でも、痛みと向き合うことで救われたいとか思っていない。と言った。わたしはそれがうれしかったし、やっぱり「やるしかあるまい」ともう一度、決心した。何度も何度も決めながらちょっとずつ、確かなものを見つけていく。そういうやり方でしか、作品を作れない。
_傷ついてもけっきょく、人はたった一人で、自分の意志で勝手に救われるものだ。自分自身で決めない限り、なにも世界は変わらない。誰かに救ってもらったと思えば、いつまでもその人に救いを求めるようになる。わたしの神は誰も救わないし、人に平等に不平等だ。それが対等というものだとも思う。
_30年前の自分がゾンビのように墓から蘇る。これでやっと過去に落とし前がつけられる。平成の終わりとともに弔うことができる。わたしであってわたしではないあなたに託すことでしかこの物語は終わらすことができない。やっと、本を閉じることができる。わたしはわたしに残酷だがあなたになら優しくできるのだ。
_というわけで平成の中二女子病の最高傑作と名高い『サマースプリング』、ぜひとも観に来てほしい。いろんな人に観てもらいたいです。(吉田アミ)

ミニスキュル・シングス

minuscule things 非常に小さいものたち
minuscule sings 非常に小さな声で歌ってる
minuscule shings 非常に小さく揺れている
という意味。

shingsはスペルミスであるが、Googleの自動翻訳にかけると「揺れる」と誤訳されてしまう。
小さなものたちが集まって小さな声をあげ、揺れ続けているような……。
誤読もふくめ、小さなゆらぎをいつも持ち続ける。
子どもが間違えて書いたような文字のように……。

立川貴一と吉田アミの男女ふたりによる異色の演出ユニット。
ふたりで作品を演出することで、どちらのものでもない不確かな「状態」を作る。

立川貴一(たちかわ・きいち)

作家・パフォーマー。
演出家・美術家の飴屋法水に出会い、同氏の作品に出演/参加。
2013年、演劇公演『害虫』を都内の古民家で発表し、作家としての活動をはじめる。
自作においてはボーダレスでフラットな要素を好む。
音楽ではju sei、滝沢朋恵、大濱周也(賢いユリシーズ)、グラフィックデザイナーの石塚俊など、共作が多い。
写真家・演出家の三野新作品や、カゲヤマ気象台作品などにも出演。

吉田アミ(よしだ・あみ)

音楽・文筆・前衛家。1990年頃より音楽活動を開始。2003年にソロアルバム「虎鶫」をリリース。同年、Utah KawasakiとのユニットastrotwinとSachiko.MとのユニットcosmosのCD「astrotwin+cosmos」がアルスエレクトロニカデジタル・ミュージック部門のグランプリにあたるゴールデンニカを受賞。90年代から00年代にかけて世界的なムーヴメントとなった、いわゆる「音響」的音楽のオリジネイターの一人。CDアルバムを文筆家としても活躍し、小説やレビューや論考を発表。著書に「サマースプリング」(太田出版)、小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」(講談社)がある。音楽家で批評家の大谷能生との「吉田アミ、か、大谷能生」では、朗読/音楽/文学の越境実験を展開。近年、舞台芸術の分野において独自の創作活動をこころみはじめている。

大谷能生(おおたに・よしお)

1972年生まれ。音楽(サックス・エレクトロニクス・作編曲・トラックメイキング)/批評(ジャズ史・20世紀音楽史・音楽理論)。96年~02年まで音楽批評誌「Espresso」を編集・執筆。菊地成孔との共著『憂鬱と官能を教えた学校』や、単著『貧しい音楽』『散文世界の散漫な散策 二〇世紀の批評を読む』『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』など著作多数。音楽家としてはsim、mas、JazzDommunisters、呑むズ、蓮沼執太フィルなど多くのグループやセッションに参加。ソロ・アルバム『「河岸忘日抄」より』、『舞台のための音楽2』をHEADZから、『Jazz Abstractions』をBlackSmokerからリリース。映画『乱暴と待機』の音楽および「相対性理論と大谷能生」名義で主題歌を担当。チェルフィッチュ、東京デスロック、中野茂樹+フランケンズ、岩渕貞太、鈴木ユキオ、大橋
可也&ダンサーズ、室伏鴻、イデビアン・クルーなど、これまで50本以上の舞台作品に参加している。また、吉田アミとの「吉田アミ、か、大谷能生」では、朗読/音楽/文学の越境実験を継続的に展開中。山縣太一作・演出・振付作品『海底で履く靴には紐がない』(2015)、『ドッグマンノーライフ』(2016/第61回岸田戯曲賞最終選考候補)、『ホールドミーおよしお』(2017/Corich舞台芸術祭・演技賞受賞)では主演を務める。最新作はJazz Dommunisters『Cupid & Bataille, Dirty Microphone』(2017/Taboo-Villege)。
・webサイト http://www.ootany.com/

吉田隆一(よしだ・りゅういち)

「SF音楽家」という肩書きで活動するバリトンサックス奏者・作編曲家。「blacksheep」(with スガダイロー、石川広行)、「N/Y+Y」(with 新垣隆、芳垣安洋)等での音楽活動を中心に、文化諸相の混在を図る。文筆活動も行っており、SFやアニメ、音楽に関するレビューや文庫解説を多数執筆している。一般社団法人日本SF作家クラブ会員。

三野新(みの・あらた)

1987年福岡県生まれ。ニカサン主宰。写真家・劇作家・演出家。「恐怖の予感を視覚化する」ことをテーマに作家活動を行っており、物語・写真行為・演劇を横断的に試行/思考しながら制作している。主な受賞歴にフェスティバル / トーキョー 12’ 公募プログラム選出、第2回・第4回写真「1_WALL」展入賞、第17回AAF戯曲賞ファイナリストなど。

トークゲスト:豚バラ肉えりか a.k.a. 榎本櫻湖(えのもと・さくらこ)

詩人。1987年生まれ。2011年第49回現代詩手帖賞受賞。著書に2012年『増殖する眼球にまたがって』(思潮社)、2017年『Rontgen、それは沈める植木鉢』(思潮社)、2018年『Lontano』(七月堂)など。

トークゲスト:五所純子(ごしょ・じゅんこ)

文筆家。映画や文芸を中心に、雑誌・書籍・パンフレットなどに寄稿多数。著書に『スカトロジー・フルーツ』(天然文庫)、共著に『1990年代論』(河出書房新社)、『心が疲れたときに観る映画』(立東舎)など。連載中のものに「月刊サイゾー」にて「ドラッグ・フェミニズム」、「ele-king」にて「幸福の含有量」、i-D Japan webにて月永理絵と「映画の平行線」がある。

トークゲスト:木村カナ(きむら・かな)

1974年生まれ。フリーランス。吉田アミ『サマースプリング』(太田出版)を共同編集。主な著作に「二十一世紀文学少女・覚書」「森茉莉主要作品解題 「私は文学者だよ」」「『武田百合子全作品』解題 生の記録、喪の仕事」(以上、『ユリイカ』)、「尾崎翠著書目録および解題」(『KAWADE道の手帖 尾崎翠』)、「笙野頼子東西地図・拝読曼荼羅」(『文藝』2007年冬季号)など。

トークゲスト:郡淳一郎(こおり・じゅんいちろう)

オルタナ編集者。1966年生まれ。ビクター音楽産業、『キネマ旬報』、フィルムアート社、『ユリイカ』を転々。矢川澄子『いづくへか』(筑摩書房)、高橋信行編『足穂拾遺物語』(青土社)、吉田アミ『サマースプリング』(太田出版)、『アイデア』354「日本オルタナ出版史」、367「日本オルタナ文学誌」、368「日本オルタナ精神譜」などを編集。