関田育子<br>『シャンテの女たち』

2018.8.24 - 8.26

関田育子
『シャンテの女たち』

公演日時

8月24日(金)19:30
8月25日(土)14:00/18:00
8月26日(日)15:00

アフタートーク・ゲスト

松田正隆(24日)
佐々木敦(25日14:00の回)
桜井圭介(25日18:00の回)
宮沢章夫(26日)

料金

2,500円

8.24 -19:30
8.25 14:0018:00
8.26 15:00-
  • 開場は各回とも30分前から

関田育子の「発見」は小さな衝撃だった。
「演劇」の、ある角度における実験の、最新にして最良の取り組みが、そこにあった。
それが、大きな驚き、となるのも時間の問題だと思っている。
佐々木敦

【作・演出】
関田育子
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【出演】
新井絢子
青谷奈津季
黒木小菜美
小久保悠人
長田遼
我妻直弥
和田千裕
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【制作】
紺野直伸、長山浩子、馬場祐之介

ご予約方法:
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※件名「関田育子」本文に、お名前・電話番号・ご希望の日時・枚数をご記入ください。こちらからの返信をもってご予約完了となります(24時間以内に返信します)。定員になり次第受付を締め切らせていただきます。
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メール info@scool.jp

【上演への問いだて】
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前回の作品から引き続き、「広角レンズの演劇」として何ができるのか。
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広角レンズはフレーム内のものに等価にフォーカスをあてることができるレンズである。つまり遠景にあるものにも前景にあるものにもピントが合っている状態である。このようなことは人間の視覚ではありえない。なぜならば人間の目は自身の生活の有用性に合わせてものを見ているからである。広角レンズの演劇とはなんだろうか。
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現時点で言えることは、俳優の身体と建物(劇場)の壁や床が観客にとって等価に見えることを目指すことである。なぜ目指すのか、演劇では目の前で戯曲内部の出来事が起こるがそれはどこまでいっても虚構の域をでないが、それは虚構であると同時に現実でもあるという性質がある。その奇妙な性質について考えてみたい。
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◯純粋な動詞の遂行
「ゆっくり/歩く/綺麗な/女子高生」という一文があったとする。
この文を表現するとき、人はまず「女子高生」になろうとするだろう。制服を着用したり 女子高生の身振りを真似したりすることになるだろう。その場合にこれらの文節に優先順位をつけるならば、「女子高生」が優先されその後「綺麗な」や「ゆっくり」「歩く」というようにその形容詞や副詞、動詞を再現することへと意識が移るだろう。しかし私たちは、「歩く」を最優先し、次に「ゆっくり」「綺麗な」「女子高生」と続く。「歩く」という動詞が1番パワーを秘めているように感じる。舞台に俳優は立つ。そして、足を動かし、手を動 かし場を創る。その動作は副詞を連れて現れる。そしてそれらが何であるか(名詞)は1番最後に現れる。しかし、舞台上には俳優の身体というヴィヴィッドな名詞の配置がなされて いる。そのちぐはぐさが「広角レンズの演劇」を考える糸口になるかも知れない。
(関田育子)

初めて観た時、その隅々まで繊細に演出さるているだろう舞台に驚いた。でも、それだけなら関田さんのへの興味は直ぐに薄れただろう。どのように彼女が出演者やスタッフたちと作品を作り上げていくのか実際のところは知らないが、その現場はきっと風通しが良くて楽しそうだ。そうしたあり方が決定的に古くて新しい。そう感じさせる何かがある。演劇作品は良く出来た壊れやすい蝋細工などではなく、いまその場所で集団で生成されるものだから、ひとつの生きものに成るのを見届ける。力まず、でも力強く、どこまでも肯定的に、という夢の顕現。
(生西康典)
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集団による言語と試みの共有はその内部で化学反応を促進し進化/深化を加速する。関田育子の演劇作品はマレビトの会の影響下にありながら、すでにして異形性を獲得しつつある。それはおそらくある種のガラパゴス的進化であり、だからこそ剥き出しの演劇の原理に触れるものだ。未知で野蛮、それでいて極めて洗練された演劇がここにある。
(山崎健太)

関田育子

1995年栃木県生まれ。
立教大学現代心理学部映像身体学科卒。
2016年に同学科教授・松田正隆氏が代表をつとめる、マレビトの会のプロジェクト・メンバーとなる(2018年現在演出部に所属)。フェスティバル/トーキョー16主催プログラム『福島を上演する』に演出部として参加する。
フェスティバル/トーキョー17「実験と対話の劇場」では、演劇作品『驟雨』(作・演出)をあうるすぽっとにて上演した。